ライダーとしての自己紹介①

酔っ払いの戯れ言です(´・_・`)

僕は2005年~2014年までの9年間モタードで色々と楽しみ、今年復活したリターンライダーです。ライセンスは一応A級です。(当時は簡単になれたんす)


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ようやく自分に合った車両に出会え、タイムも伸びてる最中に仕事が忙しくなり、レースをしなくなりました。その時燃え残った何かが2期BiSさんの解散をきっかけに再燃してしまい、もう一度レースをしようとなり今があります。

 

色々と振り返ってみたいと思います。

 

学生時代はモタードに憧れながら、DT125Rで河川敷や林道ツーリングをしていた僕、2004年に就職すると、直ぐにKTM625SMCという念願のモタードバイクを購入しました。

こんな感じの↓
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このバイク、レース専用車じゃない割に、多少重いもののエンジン速いし、足回りも素晴らしい。良いバイクでした。公道では無敵感ありましたね。

※この手のビックモタードは乗ってて本当に楽しいですよ~。

 

当初、サーキットを走るのにビビってた僕でしたが、自動車学校のイベントでサーキット走行を体験。このバイクのポテンシャルのおかげで、教官よりも速く走る事が出来た結果、勘違いした僕はツナキ、ブーツを購入してサーキットを走り始めました。 

 

しかしながら上手く行かない訳です。

イベントで速かったのはただ、バイクの性能。サーキットでちゃんと競うとまあ遅い。

タイムも出ないし、馴れないブーツでリアブレーキ掛けすぎて転んだり、、(´・_・`)

ほとんど誰にも勝てないレベルでした(´・_・`)

 

当時の僕は遅い理由をバイクのせいにし、乗り換えを決意します。

もらい事故で出た保険金でトランポを購入、'04KTM450SXのモタード仕様に乗り換えました。

こんな感じの↓



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しかしながら乗り換えても遅いものは遅い。結局ライダーが遅いので当たり前だしバイクは悪くない(´・_・`)

少し後に始めた友人が簡単にタイムを出すのを横目に涙目、、初めて出た美浜の草レースはダントツ最下位、、絶望的でした(´・_・`)

【参考】美浜58秒くらい

 

そんな時、当時働いていた会社の先輩に助けられました。この先輩鈴鹿のFUN&RUNに何故か出てきた山口辰也に勝った伝説を持つ人。きちんとスロットル開けて、きちんとブレーキをする。当たり前こ事が出来てないとか、バイクのセッティング(サグとかね)、色々アドバイスをもらった結果、バイクも乗りやすくなり、タイムアップ。

レースでも徐々に順位を上げる事が出来ました。

【参考】美浜55秒くらい

 

このあたりから、バイクを購入させて頂いたオープンエリアさんのチーム員さんと一緒に、今は亡き伊奈サーキットの伊奈カップ、レアルワン等の草レースに参戦。モタードの魅力にどっぷりハマって行きました。

 

当時の写真↓めっちゃ遅そう(´・_・`)


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【参考】美浜52秒くらい

そして2008年からいよいよライセンスを取得。MFJのレースに参戦を開始します。

続く

 

スーパーモト(モタード)の魅力①

スーパーモトの魅力といえば、代名詞でもあるスライドです。


https://youtu.be/BQAHCxgjlFA

僕はスライドに憧れてモタードを始めました。そもそも何故スライドするのか?

モタードの車両はレースでジャンプを飛ぶ必要がある事から、サスペンションのストロークが長くなります。コーナーこ進入、その長いサスでブレーキングをすると、フロントに過重が掛かり、リアの過重が抜けます。その状態でコーナーに進入するとリアが流れます。流れてしまうならそれを利用して車体の向きを変えよう。といった事からモタードではスライドが多用されています。

見る側としては、コース全体が見える事から観戦し安い事から、観ていて面白いと思います。又プロのライダーも居ない事から、ライダーとも気軽に話が出来、距離も近い事から推しを作り安いと思います。推しのライダーが居るとより楽しめます!


https://youtu.be/gLBbcUg4i50

1度観戦してみて欲しいです。

スーパーモト(モタード)とは?②

スーパーモト(モタード)の歴史の続き

偉そうに言える程立派なライダーじゃないのですが、酔っぱらうと語りたくなるのがおっさん。

●2000年代

日本でのスーパーモトは当初MOTO1という名前で開催されていました。僕は直接の関わりがなく多くは語れないのですが、モトショップ五郎さんが中心となって立ちあげられました。

2003年、森町スライドパークで行われたSFR+MOTO1というイベントを皮切りに、2日本各地で行われていたのですが、2004年に全日本化。当時はMOTO1オールスターと呼ばれていました。

一方ヨーロッパでは世界選手権が盛り上がり、アメリカではX-GAMEやAMA SUPERMOTOが立ち上がりこれから盛り上がる余丁を見せていました。

この頃、日本のレースはモトクロス出身のライダーが速く、上位を席巻していました。

特に最高峰クラスでずっと競ってた佐合選手と松本選手(現オートレーサー)のライバル関係は観ていて楽しかったです。この2名は海外にも挑戦されており、佐合選手はX-GAMEを目指してアメリカのAMAにスポット参戦。シングルフィニッシュしていたり、タイム的にもトップと遜色無く走っていました。松本選手もアクシデントがありながらシングルフィニッシュ。

この頃は少しずつ日本と海外が近づいて行くのかなと思っていました(´・_・`)

●2010年代

2010年代に入りMOTOGPのカテゴリーと被る為、全日本スーパーモタード選手権となり、2015年から現在の全日本スーパーモト選手権と名前が変わりました。

そして、松本選手がオートレースに転向、佐合選手のホンダ退職によりレース休業。2016年~2018年までは森田選手がチャンピオン、となます。2004年~2018年まで全てのシリーズのトップカテゴリでモトクロスのライダーがチャンピオンとなります。

しかしながら、近年モトクロス出身者が得意なスライドを多様したライディングから、ロード的なフロントのグリップを生かしたライディングが主流となっており、ロードライダーも台頭。2019年はロードライダーの日浦選手がチャンピオンとなりました。スーパーモトからレースを始めたライダーも上位を獲得するなど、今後も楽しみです。

不況から世界(アジアへの参戦はありますが)への挑戦が難しくなっていますが、スーパーモトがもっと認知され、未来が広がるといいなぁと切に願います、、(´・_・)

僕の好きな動画↓

https://youtu.be/VsVYzo_K8Ps

めちゃめちゃストイックなんです。

トップライダーの方には報われて欲しい(´・_・`)

 

 

 

スーパーモト(モタード)とは?①

偉そうな事を言える程のライダーでもないのですが、酔っぱらったので少し語ってみます。ちなみに後追いで勉強した知識です(笑)

 

僕がやっているオートバイのレースは、スーパーモト(モタード)と言います。スーパーモトって何?について説明します。

簡単に言うと、オフロードのライダーとロードのライダーどっちが凄いのか?をテーマにしていたレースが独自に発展した結果、ロードコースとダートコースをミックスしたコースで誰が速いのかを競うレースが生まれました。それがスーパーモト(モタード)です。

 

《スーパーモトの歴史》

●1980年代

兼ねてから良く話題になる、バイクを滑らせて走ったりジャンプをするオフロードレースのライダー、時速300kmでバイクをコントロールするロードレースのライダーどっちが凄いのか??の議論に終止符を打つべく、1980年代にアメリカでスーパーバイカーズというレースが行われました。ロード、オフロード共に当時のトップライダーが集まりオフロードとロードをミックスしたコースでレースを実施。マシンも今では考えられない、ロードバイクをオフロードも走れる様に改造したものもあったそう。


https://youtu.be/rX7z8ZIcllA

 

●1990年代

スーパーバイカーズは徐々に衰退。

日本では後処理の大変さもあり、ダート無しのコースをロードタイヤを履かせたオフロードバイクで走る、ターミネーターという形でレースが行われていました。ターミネーターのバイクは、ロードに特化した事からハングオフで走るスタイルで独自に行われていました。

一方ヨーロッパではダートが残った形でレースが行われており、徐々に盛り上がりを見せていました。オフロードが残った事で、ジャンプ飛ぶ為にサスペンションストロークが確保され、独自のライディングが生まれて行きました。そう、スーパーモトの代名詞とも言えるスライド(ドリフト)です。

そんな中、1999年に当時のヨーロッパでトップライダーだった、ボリス・シャンボンが筑波サーキットでデモ走行をします。俗にいうシャンボンショックです。

※めっちゃめっちゃカッコいいです!


https://youtu.be/Q89rhl_gDFI

当時のレース関係者に多大な影響を与えた結果、日本でもターミネーターではなく、スーパーモト(モタード)をやる流れが出来ました。このシャンボンショックが日本のスーパーモト(モタード)が生まれた瞬間と言われています。

ちなみに仕様されてたバイクは当時スウェーデン製だったハスクバーナ。独特のカラーリングは今のハスクバーナにも受け継がれています。カッコいい!

※僕のバイクもハスクバーナです。


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続く

BiSさんについて=二期後半=

両国でプー・ルイさんが抜け、新たにスタートを切ったBiSさん。そこに戻って来たアヤ・エイトプリンスさんは、ギャングパレードさんの良い所をBiSに持ち込もうとしていた様に思う。その為空回りする事もあったが、メンバーの意識も高く、その頃は特に良いステージを沢山見せてくれた。ホントこのまま行っていればとずっと思ってる。

 

映像に残ってる所だと、WACKEXVISIONの大阪。合宿帰りのペリさん、パンさんとその他メンバー含め、凄く良かった。プー・ルイさんというあまりに大きな存在が抜けた後、このメンバーで新しいグループとしてやっていけるのではと思った直後のBiSリーグ発表、5人のメンバー追加からの、ももらんどさん脱退。

 

ここで歯車が狂って行ったと思ってる。新しいメンバーさんが好きな人には申し訳なく、個々がダメな訳では無いが、1度にこれだけ、しかもBiSHさんに入りたいメンバーさんを増やせばどうしてもまとまりが悪くなる。

 

渡辺さんからのプレッシャーもあり、トレード終了から1年と少しで解散と至った、。

 

ちょうど解散前に仙台に転勤した為、最後の方現場数が減ったのが悔やまれると共に、その辺りについて書くのは僕じゃない方が良いかなと思っている。

 

ここからバイクブログになって行くかな。

GANG PARADEさんについて=アヤプリさんトレード時代=

元々BiSさんというグループが好きで通い始めた訳だが、推しであるアヤ・エイトプリンスさんの魅力にハマっていた僕は、トレードに伴いギャングパレードさんに通う事になった。

 

ギャングパレードさんの現場は、BiSさんと比較するとリフト禁止はもちろん、モッシュも少なく、コールやフリコピなど、皆が自由に楽しむ現場。全く違う現場に気を使う所もあったが、ギャングパレードさんのヲタクは皆さん優しく、すぐに馴染む事ができた。その節はお世話になりました🙇

 

当初は戸惑ったもののモッシュが少ない分、メンバーさんを良く観る様になり、メンバーさんの成長やそれに至る努力を感じながら観る楽しみを徐々に覚えて行った。

 

また、当時のギャングパレードさんはきっちりそろったダンスが表す通り、それまでの苦労を糧に、絶対に上に行くという意欲にあふれた意識の高いグループで、更にそのグループを作ったカミヤサキさんとトレードになったアヤ・エイトプリンスさんにかかるプレッシャーが凄かったのは想像に難くなく、移籍当初はとても不安そうにライブをしており、特典会でも自信なさそうな所を除かせていた。

 

しかしながらその逆境の最中、アヤプリさんは明確に成長して行っていた。ダンスも少しずつ合う様になり、ボイトレに通い出した事で元から上手かった歌に更なる磨きがかかって行った。その象徴がGANG PARADEの落ちサビだと思っている。この落ちサビで毎回鳥肌が立ったのを忘れられない。


https://youtu.be/100K-pSVWZM

アヤ・エイトプリンスさんの事はずっと好きだったが、ステージをしっかり見る様になったこのタイミングでこの成長を目の当たりにした事で、一生アヤ・エイトプリンス推しで居ようと強く思った。あれだけの美人に生まれたのにも関わらず、努力を続けられる事はホントに凄い。地面這って這って生きてきたの言葉はホントの話。

 

その後トレード解消、、その頃には他のメンバーさんにも強い思い入れも生まれており、この悲しかったり。色んな感情がね、。

 

そんなこんなでもう1度BiSさんを観に行く様に、、。

BiSさんについて=2期BiS初期=

悶々とした日々を過ごしているさなか、もう一度BiSをやるとまさかの発表がなされた。凄くうれしかった。今度は自分もあの熱狂に加わりたいと意気込み、合宿オーディションを見ながらわくわくしていた。

肝心の推しについては、2ヶ月程動画を見た結果、ルックス、歌、ちょっと抜けた性格。この人ならずっと推せそうだなと、アヤ・エイトプリンスさんになった。

そしていよいよ初現場。場所はファーストツアーの地元名古屋2DAYS。

ライブを観ての感想。

相変わらずフロアはモッシュ、リフト、サーフ有りで凄い盛り上がりでした。曲もメンバーさんも凄く良い!とにかく楽しかった!

※メンバーさん個々についてはまた後日。

ただ、気になった点も。第1期のBiSさと違いメンバーさんからのレスがない。MC中にリフトして研究員が何かする流れはあったのだが、メンバーさんは気にせず進行。リフト中や最前だと目が合わない。

旧研究員の様な熱狂をあえて抑える事でBiSさんを大きくしようとしていたんだなと感じた。あのカルトじみた熱狂は両刃の剣。結果武道館に立てなかった第1期BiSさん。必要なのは分かるけど、第1期とは別の道を行くのだなと寂しさを感じていた。

その時点でのBiSさんは、パフォーマンスがまだ完成されていないながらも、色んな事を試行錯誤をしていた時期。そのもがいてる感じ、メンバーさんが今後また新しいBiSを作って行くわくわく感が楽しかった。

その後、Re:STUPiDツアーを経て、オーディション合宿からアヤ・エイトプリンスさんのレンタルトレードが行われた。

僕が観ていなかった間にBiSさんは大きく進化。カミヤ・サキさんが入った事でメンバーさんも鍛えられ、パフォーマンスが飛躍的に向上。客観的に見て凄く良いグループに成長していた。そのあたりについては、自分があまり通ってないので多くは言えません。

続く